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(Jan.29.1996)

まちづくりにおける情報システム化のあり方について

New York City Landscape



 まちづくりにおいては,都市全体の計画の中に住民の意向,あるいはニーズを汲みあげることが非常に重要である。その一方で,まちづくりを行なう主体である地方自治体は,自主財源を自分で持っていることは希であるから,そのまちづくりに必要な費用を国の各省庁や都道府県などから獲得するために,補助金の申請を行なうことになる。この際に,地方自治体は,補助金を交付する側と住民側の双方の意見のバランスを取る舵取り役をつとめなければならない。補助金を交付する側に配慮し過ぎてしまうと,住民が求めていないような施設ができあがってしまうことになりかねないし,かと言って,住民の意向通りの計画案では補助金を獲得するのは困難であろう。

 特に,日本のように,中央集権化されて各省庁が縦割りに組織を形作っているような場合には,補助金を獲得する作業に地方自治体が割く時間の割合が必然的に大きくなってしまうから,住民の意向とは関係ない形でまちづくりの作業が進行することも多くなってしまう。

 もし,地方自治体が住民の意向を最大限に活かそうとすれば,かなり面倒な作業が加わってくる。それは,すなわち,(いい意味での)こじつけや細工によって,中央の基準を形式的にクリアすることである。地方自治体がある事業に対する補助金を申請するとき,その事業が中央官庁の複数の管轄にかかる事業であったならば,それぞれの官庁だけに該当する事業となるように計画を変更するか,あるいは,同じ場所で名目上複数の別の事業が行われるかのように計画を書き換えてしまうしかない。もし後者を選択した場合には,名目上の事業責任者や監督者などをその分用意しなくてはならなくなる上,ただでさえ膨大な量になることの多い書類を複数用意しなくてはならなくなるから,その効率の悪さと言ったらない。

 自主財源が三割に満たない,いわゆる「三割自治」の自治体が大部分を占めている日本の現状を考えると,こうした状況というのは好ましいことではない。それ以上に,このようなことを続けていたら,地方のためにならない地方対策などによって,地方の凋落がいよいよ進んでしまうだろう。中央に陳情を行なわないと何も行動ができないようでは,地方「自治」などという言葉は無意味なものとなってしまう。

 大都市圏においては別の問題もある。核家族化や一人世帯の増加は,地元の地域コミュニティとの交流のない人々の増加を意味している。下宿学生や外国人などの場合,下手をすれば,住民票すらない場合も多い。このような人たちの意向を汲みあげる事は,恐らく現在のシステムでは不可能であろう。これらの人々の汲み上げるシステムを作ることも重要な課題だ。

 地方自治を強化するには,地方分権のシステムを導入することが先決のような気がする。沖縄から北海道まであらゆる自治体の人たちが東京へ陳情に来なければならないような現在の意思決定システムは,明らかにおかしいからだ。財政的裏付けの問題はあるかも知れないが,少なくとも,東北のことは東北で,四国のことは四国内だけで‥‥決定できるようなより簡素化された意思決定システムが望ましいと思う。

 明治以前のことを考えれば,日本は割と地方分権が進んでいる国家だったはずである。それが明治以降,特に全体主義の時代を経て,中央の力が強力な中央集権国家に変貌してしまった。

 改めて,「地方の時代」というものを考えてみるべきではなかろうか。



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