(Jul.21.1995)
例えば,われわれが日常使っている文字などはその典型であろう。漢字は中国大陸からの輸入品である。だが,文法もまったく異なる言語の文字をそのまま利用するのにはやはり不都合が多すぎた。そこで,日本人は,中国語の文章をうまく日本語に取り込む方法として「訓読」という方法を用いたり,のちに仮名文字にと発展する万葉がなを用いて,自らの言語文化を高めていった。
これは,大きく分けて3度(戦国〜江戸初期,明治,第二次世界大戦後)に渡る西洋文明の吸収期においても同様であった。
ここでは戦国〜江戸初期の西洋からの伝来品の例として,銃砲をとりあげてみよう。日本国内の統一過程において,銃砲は重要な役割を果たした。織田信長〜豊臣秀吉らによる日本国内の支配体制の確立は,ひとえに銃砲のお陰であったといえよう。だが,いったん,支配体制が確立すると,銃砲は禁制品となり,江戸時代は再び刀の時代となったのである。
明治期以後,さまざまな西洋文化が流入してきたが,だからといって必ずしも日本文化がその代わりに消えていったわけではない。和室や障子・畳は健在であるし,和食は海外に輸出されるまでになっている。チョンマゲ頭はザンギリ頭になり,和装は洋装へと変化しても,文字は漢字とかなであってアルファベットになることはなかった。近代的な銀行制度によって発券されるようになった日本銀行券に使われたのは,洋紙ではなく和紙である。
戦後においても,同様に,日本人は確実に西洋文明の取り込みにあたって取捨選択を行なっている。GHQによって様々な民主化政策が行なわれたが,教育委員の公選化,教育自体の地方移譲などは日本の実情にそぐわなかったために廃止されてしまった。
日本人は,自分達にとって有益な文化はどんどん吸収する一方,自分達の感覚あるいは価値観に合わないものは合うように改良するか無視するか‥‥こうして日本文明を高めていったのである。もし,明治維新があと10年遅れていたら,ひょっとすると日本は植民地されていたかもしれないなどと考えるとき,先人達の偉大さに改めて驚かされる。