(Oct.9.1995)
認識とは,情報の記号化である。その記号化を行う論理回路(ロジック)は,社会文化の中で養われる。だからこそ,社会慣習の違いと,価値観の相違は,相互に,深く,連係しているのだ。
また,そうした価値観を踏まえた上で,人間は「考える葦」すなわち情報創造を行う主体となることができるのだ。そして,この時,人間は情報処理機能を持ち,高度な思考をすることができる。 こうして,野性の代わりに理性が人間を導いていく。
まず,各個人は,この認識の方法,つまりは「物の見方・捉え方」を磨く必要がある。磨くためには,いろいろなものを見聞きし,考えなければならない。また,同時に,ある一定の型にとらわれてしまってもいけない。型にはまった思考では,現状を維持する事はできても,新しいものを生み出す事はできないからである。 新しい世界への挑戦こそ,人間社会に新たな活力を生み出す根源となるのだ。そして,その活力を失ってしまった社会には,もはや発展の余地は残されていない。可能性への挑戦,それがすなわち次のステップへの踏み台となるからだ。
協同作業を行う事ができるのも人間の大きな特長である。それは,もちろんいま,この現代社会の中で生きている者同士でも行われるが,現代に生きる者と過去に生きていた者の間でも文献やその他の情報媒体に残された「記録(あるいは記憶)」を通じても行うことができる。
現在,生きている者同士では,対面しての会話だけではなく,各種の通信手段を用いてのコミュニケーションが行われる。相互の知識やアイデアを参照しつつ,さらにそれを新しい段階へと進めていく事ができるわけだ。古くは手紙や電話のやりとりであり,新しくは電子メールあるいはチーム・コンピューティングなどがそれにあたる部分だろう。
それから,過去との対話という面では,図書館などはそのいい例だ。過去の人間が書き残した知識や資料その他を後世の人間が活用し,さらには発展させて現状や将来の展望の判断材料とするのだ。現在ではそういったものを電子化して統合したデータベースなども登場したため,人々の扱える情報の幅は格段に広がっている。
過去に対する認識というのも,また,面白い。
同じ記録を読んでもそれを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは,その個々人によって異なるのはもちろん,その社会,その文化,その世界,その時代‥‥によって大きく変わってしまう。
マルチメディア社会の到来などと言われているが,人間自身の,認識に関する回路などは,大した進化はしていないにも関わらず,扱う(扱わなければいけない)情報の量は爆発的に増加しているから,必然的に情報の取捨選択を迫られる。そして,情報の概要を認識し,どの情報を選び,どの情報を捨てるかという新たな判断をする機会が今後ますます増えるものと予想される。
情報化社会は,「情報をいかにうまく扱う事ができるか」が重要になってくる社会なのだ。
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