(Jan.30.1995)
コンピュータの発達は,ある一面,その環境整備に力を貸している。発声装置は話すことのできない人々に声を与えたし,ワープロは健常者と同等の発言能力を与えている。点字ディスプレイや発声装置の登場によって視覚障害者はリアルタイムの電子メディアに文字どおり「触れる」ことができるようになった。なにより大きなポイントは,こうしたコンピュータのソフト開発などの業種は,身障者であっても能力さえあれば健常者にひけをとらない仕事ができるということだ。この分野はひょっとすると障害者に対する差別がもっとも少ない業種かもしれない。
このレポートの下調べにあたって,福祉問題を取り扱うパソコン通信の電子会議室を覗かせてもらった。ここでは健常者と身障者の両方が一緒になって発言をしているのだが,ぱっと見た状態ではどちらがどちら側の人間なのかが全くわからない。子供時代の脳性マヒの体験談を見て初めてその人が,実は左半身が不自由だと知った‥‥などということがごく普通に起こるのだ。こういった,身障者と健常者がごく普通に話し合える場と言うものは,大変に貴重だと思う。
障害者を助ける新たな技術が開発される一方で,障害者の日常生活には不便な点がまだまだ多い。特に問題なの日常の「足」である交通機関だ。日本の公共交通機関は,確かによく発達しているが,決して「障害者に優しい」と言えるものではない。
鉄道の場合を考えてみよう。鉄道に乗るためには,まず,切符を買わなければならない。だが,旧式の券売機とは異なり,新型の券売機は価格とボタンの組み合わせが何通りか(自社線のみ,A線に乗り継ぎ‥‥など)切り替わるようになっており,対応が一定しない。そのため旧式の券売機だったら,直接貼ることできた点字シールも,新型の券売機では貼りつけることができない。また,点字の料金表は駅長室などに行かないとない場合が多い。
ほとんどの鉄道駅には,線路際に安全ブロックが埋め込まれている。これはホーム転落を防ぐ意味からの,視覚障害者に対する配慮ではある。しかしながら,障害者に対する配慮と言うよりは,ただ単純な安全対策でしかない。ただし,盲導犬の同乗についてはかなり認められているようだ。
歩行障害を持つ障害者に対してはどうだろうかと考えてみると,障害者用エレベーターやスロープを備えた駅と言うのは非常に少ない。東京近郊は特に地下や高架に駅がある場合が多いが,こうした構造の駅が障害者の利用を考慮していることはまれだ。たまに,このような駅を障害者が利用している光景を見ることがあるが,階段などは駅員や他の乗客による人海戦術で対応しているだけだ。
バスの場合をみてみると,残念ながら,車イスのままのれるバスは非常にまれである。東京の場合,僕が実際に目にすることができた車イス対応のバスは,東京都交通局の「低床バス」だけだ。だが,このバスも運転している本数が少ないために,決して利用しやすいとは言えない。その路線の全てのバスが低床バスであれば,ずっと利便性は高まると思うのだが‥‥。アメリカのように,昇降装置つきのバスがごく普通に走っていることを考えると,非常に恥ずかしい限りだ。これを実現するには「障害を持つアメリカ人法」のようなある程度強制力を持った環境整備の法律が必要なのかもしれない。
結局,電車やバスが利用できないと,車イス利用者は,自家用車やタクシーの頼りになるか,足の障害が軽いものであれば多少の不便は我慢しても杖などで移動せざるをえなくなる。
障害者の雇用状況もまだまだ厳しい。
1976年10月に施行された改正身体障害者雇用促進法により,民間の事業所は従業員の1.6%の障害者の雇用を義務づけられ,また,未達成企業からは納付金が徴収されるようになった。しかし達成状況の悪い企業として公表される大企業も少なからずあるし,まして中小企業となればなおさらである。障害者の社会全体での活躍の場を増やすことには賛成でも,自分の会社に来るのは反対だ,といった,総論賛成各論反対がまだまだ多いのが現実である。いちばんの障害はやはり環境整備なのだ。障害者を雇うために,トイレを改装し,通路を広げ,エレベーターを設置し‥‥という状況を考えたときに,尻込みしてしまう経営者の立場も理解できないわけではない。だが,これは本来社会全体が負担するべきコストなのではないだろうか。
これから健常者と障害者の共生できる環境作りをもっと推進していく必要がある。非障害者である僕もいつ障害者になってしまうかわからない。社会の高齢化が進むとみられている現在,障害者や老人などの社会的弱者にやさしい環境作りは,これからの日本の課題である。
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