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(Aug.13.1996)

書評・考察・独り言

台湾〜人間・歴史・心性〜

(岩波新書・戴國[火軍]著)

Map of Taiwan

中華民国の現在の領域



この本について

 この本のテーマは「台湾」である。現在,この「台湾」という言葉は2つの意味あいを持っている。すなわち,地理上の台湾本島とそれに附属する島嶼を指す場合,それからもう1つは政治・行政面から捉え,「中華民国」が実効支配している領域全体(地理上の台湾=台湾省に加え,福建省に属する金門島・馬祖島を含めたもの)を指す場合である。この本の中では,第2次世界大戦終了(=光復)までは前者の台湾,それから光復後は後者の台湾を扱っている。

 前者の台湾,即ち,地域としての台湾は長きにわたって中国の「化外の地」とされてきた。東の果てに浮かぶ島など見向きもされなかったのである。日本で言えば,「蝦夷地」と呼ばれた北海道のような状況だったようである。台湾が歴史に出てくる時期としては,種子島へポルトガル人が来航するなど,ヨーロッパ人達がアジアへ登場し始めた頃になる。1624年には,オランダがゼーランディア砦とプロヴィンシア砦を築き,現在の台南近辺を中心に重商主義的経営を進めていった。2年後には,スペインが基隆湾内にサン・サルバドル峠,1629年には淡水にサント・ドミンゴ峠を築くなど,北部へ進出していった。そして,前述の2者に加えて嘉義周辺に勢力を持っていた海賊指導者の顔思斉,李旦および鄭芝竜一統の3者が思い思いに活動する場へと台湾は変わっていった。17世紀中頃にはスペインがオランダに追われ,そのオランダも鄭氏に追い出された。鄭氏はオランダを追放した1662年から清王朝に屈伏する1683年まで台湾の政権を確立した。その後は清王朝政権下で,漢族による移民・開拓が行なわれ,1885年には福建省から独立して台湾省へと昇格するまでになった。しかしながら,1895年の下関条約による日本への割譲により,台湾は再び中国から切り離されてしまう。日本による植民地経営を経て,再び中国の手に戻るには,光復(1945年)を待たねばならなかった。

 後者の台湾,つまり,1911年10月の辛亥革命によって成立した「中華民国」は,革命直後は帝国主義列強の干渉に遭い,その後は日本の中国侵略に伴って政権が分裂し,第2次世界大戦終結後の国共内戦では大陸を追われ台湾への移転を余儀なくされた。このため,「国家」全体の歴史としては既に「中国を支配する政権」としてよりも「台湾の一地方政権」としての歴史の方が長くなってしまった。しかしながら,自らを台北を「臨時首都」とした「中国唯一の正統政権」であるとし,中国共産党を「掃討すべき勢力」としている異常な「内戦状態」が長く続いたため,台湾の住民自身の立場というのは非常に複雑なものとなってしまった。現実を追認した形で中華民国の「台湾化」を進めた李登輝総統が登場するまで,戦後大陸からやって来た少数派の外省人によって台湾出身者である大多数の本省人が支配されるという,奇妙な状態が続いていたのである。

National Flag of R.O.C.

中華民国・国旗(青天白日旗)



大きく変化した台湾

 先日,台湾で李登輝氏が初めて民主的な選挙によって総統に選ばれた。民主的な選挙によって指導者を選ぶことは,台湾の歴史上はもちろん中国の歴史上でも初めての快挙であり,同時に大陸(=中華人民共和国)による露骨な威嚇・示威行為によってもこの選挙は注目を集めた。

 李氏を「隠れ独立派」と決め付けた大陸政府は,激しい批判を繰り返すとともに台湾海峡の対岸で3回にわたって大規模な軍事演習を繰り広げたが,これは逆に台湾の選挙に世界の注目を集めさせる結果となり,同時に台湾への同情を集めることになった。アメリカの議会がほぼ台湾支持でまとまり,空母を台湾海峡に派遣して台湾を防衛する意志を示したことなどは,その典型的な例であろう。

 結果的には,李氏の圧倒的な勝利となり,大陸政府も彼を「隠れ独立派」ではなく「統一派」だとして,「選挙は統一派の勝利に終わった」と論評せざるをえなくなった。

 台湾自身,孫文の「三民主義」を国是としながらも,1949年5月20日に2・28事件,大陸情勢の悪化などの理由で布告した戒厳令を,1987年7月15日まで40年近くも解除することができなかった。また,李登輝氏が総統に就任するまでは事実上の国民党による一党独裁であり,議会も選挙こそあるものの,大陸出身の終身(非改選)議員が多数を占める異常な状態が長きにわたって続いていた。

 今回の選挙は,彼らが自称していた「自由中国」という立場に,彼らが本当に到達したことを世界に対してアピールする恰好の場となった。また,台湾が目指す諸外国との「実質的な関係」の定着にも大きな役割を果たした。

 経済においても,株式や外国為替などで中国の軍事演習による影響が,安定基金の設立などによって最小限に食い止められたことも,台湾の自信へと繋がっていったことだろう。

President of R.O.C.

李登輝・現中華民国総統



台湾って何なのだろうか‥‥

 台湾は長いあいだ中国にとって処女地であった。ごくわずかの先住民が住んでいるだけの土地であり,東の果ての小さな島でしかなかったのだ。実際,中国による支配は,清朝期の2世紀と光復後の半世紀,たかだか2世紀半しか及んでいない。台湾に住む人々というのも,台湾の先住民族を除けば,あとの大多数は大陸から移住して来た人々である。アメリカの開拓者ともその背景は似ているのではないだろうか。

 しかし,日本の植民地支配と中国革命という2つの時代の大きな流れを共有したかどうかの違いによって,同じ漢族系の住民の間に「(台湾独自の意味合いを含んだ)本省人」「外省人」という壁が作られ,時には対立し,あるいは支配・被支配といった構造ができたりもした。その上に,中華人民共和国と中華民国という2つの中国の対峙や東西冷戦の影響なども受け,台湾住民が台湾の方向を自ら決めることすらままならない時期が続いた。

 こうした中,自らも台湾出身者である著者は,台湾自身の歴史を綴りながら,台湾人の人とその心を我々に伝えてくれる。僕自身,今までまとまった「台湾史」というものを習ったことはないし,「中国史の中における台湾史」と「台湾から見た台湾史」というのはやはり別のものだというのが率直な感想だ。

 李登輝総統の民主化政策によって自らの代表を自分の手で選ぶことができるようになり,全世界のコンピュータの半分を生産するハイテク・アイランドとして世界有数の経済力も身に付けた台湾は,足元を固めながら少しずつ自分の存在を世界に対してアピールしようとしている。李総統の「実務外交」は,正式な外交関係を持つことが困難で,国際機関への加入もままならず,他方では「1つの中国」の原則も崩すことができないという,「台湾人であるための苦悩」を解消するためのぎりぎりの選択なのだろう。



参考文献・資料



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