(Jul.13.1994)
海洋覇権国家の先駆けとなったのは,1488年のバスコダガマの航路開拓,それから北イタリアの都市国家ヴェネチアに対する20年間の戦争によって覇権を確立したポルトガルである。ポルトガルは,アフリカ南部からインドへ,さらにはインドネシア・中国・日本にまでいたる通商ルートを通じて,16世紀前半の海洋覇権を握ることとなった。
その後,16世紀後半に入ると,カスティリアの女王とアラゴンの国王の結婚を契機として,隣国のスペインが力をつけ始めた。行政の中心カスティリアと港湾を持つアラゴンの一体化は植民地貿易の点で好都合であった。ブラジル以外のラテンアメリカを征服し植民地としたスペインは,西インド諸島の金やメキシコやペルーからの豊富な銀の輸入の助けも得て,巨大な富を築き上げ,国家体制を強固なものにした。1580年にはポルトガルを併合してしまった。
しかしその僅か8年後,1588年の無敵艦隊の敗北により,スペインもその覇権をイギリスに奪われてしまう。その上,当時スペイン領であったネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルク)の独立運動のため,スペインは多大な戦費負担を強いらた。この反乱によってスペイン北部の商業・金融は衰退してしまい,新大陸との貿易の大部分が外国商品を占めるまでになってしまった。大西洋貿易の独占港セビーリャも外国商人の活動に大きく依存するような状況で,新大陸からの貴金属はすぐに国外に流出してしまった。
独立戦争中の1581年にネーデルラントの北部7州(オランダ)は独立を宣言し,1609年のスペインとの休戦条約,1648年にウェストファリア条約で最終的に独立を果たした。独立戦争中もオランダは東インド会社(1602年)・西インド会社(1621年)を設立するなど,アメリカ・カリブ海・南アメリカ・東南アジア・日本などとの貿易に積極的に進出した。この間,幸いなことに,他のヨーロッパ諸国は国内問題のために海外進出を果たすことができなかったため,オランダは貿易を独占していった。しかしオランダは国内資源に乏しく国内市場も狭かったため,その繁栄は中継貿易に依存していた。このため,イギリスの航海条例制定(1651年)及びそれに続く三度に渡る海上戦争(英蘭戦争),コルベール体制のフランスとの政治的・軍事的対立などにより,中継貿易の基盤を掘り崩されると,オランダはこの両国の海上覇権争いの背後に退いた。
オランダが陸でフランスを戦争している間に,海洋貿易の主導権はイギリスに移っていった。フランスとの戦いを継続しながらも,イギリスは強大な海軍力を背景に海洋貿易を中心とする世界体系を構築していった。この体系にはオランダとポルトガルも織り込まれ,イギリスはラテンアメリカとの貿易をも拡大していった。一方,18世紀中葉までには,フランスのカナダ・カリブ海・インドでの役割は終わったことがほぼ明確となり,フランスは国内的困難が対外的戦争の敗北によって一層増幅されて行き,次第に革命への道をたどり始める。途中,アメリカ独立戦争やナポレオン戦争のために一時的にイギリスの地位が弱まることはあったが,強大な海軍力と産業革命の成功により,大英帝国の覇権は第一次世界大戦まで続いた。
イギリスの弱体化は19世紀の末頃から始まった。一方ではフランス・アメリカ・ドイツなどが工業化を果たし,もう一方では石炭と綿に代わり鉄鋼と鉄道が世界経済を主導する産業になっていったのである。ドイツの急速な台頭はその中でも顕著で,20世紀の前半にイギリスの覇権に対し二度の挑戦を行なうに至った。この挑戦は斥けられたものの,これらの戦争はイギリスの覇権を急速に凋落させることになった。
アメリカは,第二次世界大戦ではともにファシズムに対抗したソ連と,戦後世界たちまち対立することになった。これには両国のおかれた正反対とも言える立場が影響している。アメリカは,経済力で,世界の工業生産のほぼ2/3,輸出の1/3を占め(1946年),軍事力でも原子爆弾を独占するなど,圧倒的な力を誇り,この力で世界の資本主義体制を支えようとした。これに対し,ソ連は大戦中軍人・民間人あわせて2,000万人をこす死者を出し,経済と国民生活は疲弊しつくしていた。また,ソ連は,東欧諸国を枢軸国から解放する際,軒並み共産党を中心とした人民民主主義国家を樹立し,ここをソ連の勢力圏としたが,このことはヨーロッパをできるだけ戦前の状態に戻そうとしていたイギリスやアメリカを強く刺激した。そして米ソの間には「冷たい戦争」が始まる。冷戦体制は基本的には力関係の現状や既得権を大枠で損なわないという米ソ間の暗黙の了解を前提にしたイデオロギーの戦いであったから,全面戦争にはならなかった。
しかし,両大国がそれぞれの陣営で築いた覇権的地位も結果的には崩壊してしまう。
1956年にはハンガリーで,1968年にはチェコスロヴァキアで民衆の不満が爆発し,ソ連圏からの離脱やソ連型社会主義否定の危険が高まったとき,ソ連は武力介入でこの動きを押さえ込んだ。このことは国際共産主義運動の盟主としての威信を傷つけただけでなく,中ソ対立,資本主義国の共産党のソ連離れを決定的にしてしまった。
一方のアメリカも,1949年新中国が東側陣営に加わった上,急進民族主義への対応の誤りから,1956年エジプトのナーセルが,1959年にはキューバのカストロをソ連の陣営に追いやってしまった。また,1960年代から70年代のはじめにかけ,ヴェトナムの民族解放戦線を敵に,50万の兵力と1,000億ドルをこす巨費を投入したにもかかわらず,結局インドシナから撤退せざるをえなかったばかりか,この戦費の負担がアメリカの世界経済における覇権的地位を掘り崩したのであった。
そして今,巨大なソヴィエト帝国は崩壊し,一方のアメリカも唯一の超大国の地位にいるもののその代償として巨額の対外債務を抱え込んでしまっている。
アメリカ・ソ連の次に覇権国の座につく国家はまだ見えてきていない……。
Return to "Feel like studying ?"